だいぶ時間があいてしまいましたが、このブログの人気記事第1位、「
絶対音感と言葉1」の第2回です。
まずは上記のリンク先の記事をお読みくださいね。
(なんと前回の記事は2008年!

)
先述の通り、私は音が「ドレミファソラシド」に聞こえるのですが、
この「ドレミファソラシド」はイタリア語です。
(日本語の音名は、「ハニホヘトイロハ」。)
これは、4歳くらいから小学生までの間に散々イタリア音名で音をインプットしていた結果、
それぞれの音とイタリア音名の結びつきが強くなったからでしょう。
この
刺激の繰り返しにより、脳が「この情報は重要らしい」と判断し、
音のラベリング機能(この場合は、音と音名を結びつける能力)がオンになったと考えられます。
人の脳には、いろいろな機能が育つ土壌があります。
周りの環境からの刺激が「種」となって蒔かれ、
その刺激が一定以上繰り返されることによって機能が開花する=オンになると考えられています。
ある機能がオンになるかどうかは、だいたい12才くらいまでの刺激で決まると言われています。
一般的に「臨界期」(the critical period)と呼ばれているものです。
ある言語の「ネイティブ」になることや、絶対音感を身につけるには、
この時期までに一定量(かなり多く)の刺激(インプット+アウトプット)が必要ということになります。
でも、この記事を読んだからと言って、焦ったりガッカリすることはありません。
私自身は、日本人が「英語の完璧なネイティブ」になる必要はないと思っていますし、
絶対音感など意味がないどころか弊害があるとすら思っています。
なので、「絶対音感のトレーニングは小学生までにしなくては手遅れですよ!」などと読者の方に早期教育を勧める気は全くありません。
では、絶対音感の弊害とは何でしょうか。
それは、
音楽の世界を1つのフィルターでしか感じられなくなってしまうということです。
「
絶対音感と言葉1」でも書いたように、
絶対音感の「絶対」とは、世界共通で常に変わらない「絶対」ではなく、とても限られた世界での話です。
世界には、西洋のピアノの音律とは違った様々な音律が存在していたり、
また、音程を重視しない音楽も存在します。
そういった音楽を"絶対音感フィルター"を通して聞くと、
「音が外れている」「音程が悪い」というように聞こえてしまったりするのです。
「太陽は赤色で描くものだ」という頭になった人が、
緑で描かれた太陽を見て「間違っている」と言って受け付けないようなもの・・・に近いかな?
これでは、
多様な音楽のそれぞれの良さや価値観を純粋に受け入れるのが難しい、と私は感じています。
私の場合は、「これはどの音楽でも"絶対"なわけではないんだ」と気づいたので、
意識的に他種の音楽の価値観を受け入れるようになりました。
しかし、もし絶対音感がなかったら、それをもっと素直に受け入れることができていただろうと思います。
これが、私が感じる1つ目の弊害。
もっと大きな問題は、
チューニングが違う時の対応が非常に困難ということです。
一般的に、クラシック音楽ではA(ラ)の音を440〜442Hz(ヘルツ)に合わせます。
ほとんどの絶対音感の人の頭の中も、このチューニングの時の音が入っていると思います。
では、チューニングの基準が違ったらどうなるでしょう?
前回の記事にも書いたように、バロック音楽を演奏するグループはAを415Hzにチューニングするところが多いです。
また、クラシック音楽のオーケストラの中には、半音高いくらいのチューニングのところもあるそうです。
そんな中で演奏することになったら・・・
楽譜には「ファ」と書いてあるのに、「ミ」の音で歌わなくてはならない。これはもう、非常に混乱するのです。
日本語の50音を一個ズラして読むことを想像してみてください。
「あした、はれたらいいな」

「いすち、ひろちりううに」
・・・どうでしょう?
結構難しいですよね(笑)。
私の場合、この感覚とほぼ同じです。
頭の中で外国語を翻訳しながら話している、そんな感じにも近いかもしれません。